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今夜は ピカソで

.30 2009 スペイン comment(0) trackback(0)
マドリードのソフィア王妃芸術センター

ピカソの「ゲルニカ」を見た

本物を目の前にして ちょっと感激


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澄んだ目に映るものは さて何だろう





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スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペインのバスク国の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆と言われている。
滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを主題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させる。

スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられる。
第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めるが、スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはないとピカソは拒否した。
ピカソは1973年この世を去る。フランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まった。
1981年になってようやくスペインに返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている。
1937年の作品は縦3.5m、横7.8mの大作である。キャンバスに工業用絵具ペンキによって描かれた。これが後に絵画としての痛みの要因となるが、大作にしては短時間(1ヶ月弱)で描ききれた(油彩よりも乾きが早く、作業効率も高い上にコストも安上がり)のである。当時の絵画としては珍しくモノクロームで描かれている。あえて血の色を見せなかったことが格別の効果を与えている。各部分の習作や、後のタペストリー作品は彩色が施されている。

死んだ子を抱き泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが戦争の悲惨さを訴えている。全体の構成はキリストの磔刑図をイメージさせる。
人間の目をした牛の顔や窓から室内に首を突き出す人物など奇妙な像もあり、さまざまに解釈されている。
ピカソが好んで描いてきた闘牛やミノタウロスの神話などとの関連も指摘できる。
なお兵士、動物以外の人物はすべて女として描かれている。


フリー百科事典 ウィキペディア より
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